カメラについて 笑

写真家が書くカメラについて。笑
きょうは父の告別式だったので、まるっきり違う話題を書いてみたい。


最近僕は以前に売ってしまったフィルムカメラを買い直しています。
昔に戻りたいのかもしれない。


細胞レベルで恋はしてないが、細胞レベルで写真してると思ってる。
僕の中の何かがフィルム写真をもう一回やり直せというのだ。


父の死を前にして思うのは自分の死のことだ。

自分の死んだ後にどんな作品が残るのか。
誰が自分の死後、作品を管理してくれるのか。


そこでフィルムに行き着いた。
カラープリントまでしなくてもいい。
使用原稿ならフィルデジ!でいいじゃないか。

※フィルデジとは僕が提唱しているフィルムのCDデータ化を楽しみましょうということ

仕事はデジタル、作品はフィルムカメラに落ち着くことになった。


そこでカメラだ!
10代から慣れ親しんだペンタックス67、のちの67II
僕がスタジオに出入り始めた高校生の頃、チラシを撮るプロはハッセルを買えなくて自分のペンタ67を負け犬の機材のように扱った。
ポラが通常取れないのでその時代はcanon new F-1のポラ機を使っていた。
GIN-ICHIでやっとポラ機が発売された1980年頃だ。
ハッセルELMを使っていた僕は23歳、音楽雑誌の仕事を始めていた。
故障して借りたペンタックス6x7で見開きの仕事がもらえた。
そのころ海外ではペンタックス67の評判は高かった。
ブルースウェーバー、スティーブンマイゼル、ペンタックス67が仕事現場のスナップに写るようになり
僕も累計26台のペンタ67ボディーを使い倒した。


バケペンという言い方がある。
これはそのころのユーザーの多くを占めたアマチュアの風景写真家が使っていた愛称だ。
僕らは決して使わない。おばけペンタックス、、、かっこいいイメージと程遠いからだ。

僕らファッションの道を志すものは、シックスバイセブンと呼んだ。
マミヤは海外に行くとメイミヤだ。

645は使わない。これは殆どグラビアで使用されていた。
6x7を使うファッション系とは住み分けがされていた。

その後、デジタルの時代になり、反抗していた僕はしばらく仕事は、ディアドルフの5x4に移行した。


ペンタックス6x7は若い人にも人気がある。


使い古されたペンタックス67を見ると、すこし苦いような思いでが蘇る。
写真館やチラシ広告で酷使されたボディーのことを。
高校生の時、スタジオで見たチラシのカメラマンの額の汗を。


僕の素早い巻き上げに何10台もの67が修理送りになった。
その時の担当がいまペンタックス645zを生み出した前川泰之氏だ。

あーまたやっちゃいましたか、そろそろまた新しいの買ってくださいよー。

前川さんの声が蘇る。


”前川さん、最近も新しいの、買ったよ” 笑


”またどんな風の吹き回しですか?” 彼のオタッキーな声が聞こえるような気がする。